壁紙は、宣長旧宅の瓦です。
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本居宣長の

有名な宣長(1730-1801)の肖像画とこれも有名な宣長の歌です。
色紙は宣長の直筆で、売店で売っています。










宣
長






山
さ
く
ら

花



朝
日
に
い
ほ
ふ



人
と
は
ば

や
ま
と
ご
ご
ろ
を
し
き
嶋
の




左は、宣長の息子春庭(1763-1836)が60才だったのころの肖像画。
春庭は32才で失明した後も、驚異的な記憶力で文法研究を続けました。
右は、春庭の妹美濃が春庭のために代筆したもの。








春
庭



水
く
き
の
跡

か
き
と
む
る

あ
か
で
心
を
も
な
ほ
影
ば
か
り
う
つ
す
に



息子春庭が失明したため、宣長は弟子の大平(1758-1833)を養子とし、跡継ぎにしました。
この像は大平が78才の時のものです。








大
平
道
を
し
る
べ
き

神
の
ま
こ
と
の


学
び
て
ぞ

や
ま
と
心
に
真
摯
な
る



医者としての宣長
津の谷川士清と同様、宣長も医者でした。
京都で医者の修行をして、松阪に帰り28才のとき開業しました。
春庵というのは、医者としての名前です。
国学者として有名になっても、医者としての勤めはおろそかにしませんでした。
医者としては、かなり裕福だったとのことです。
『薬箱』の漢字が面白いですね。



松阪の一夜
1763年6月25日に、宣長は賀茂真淵と
松阪で出会い、深い感銘を受け、真淵の
弟子になりました。
それ以降、二人は会うことはありません
でしたが、手紙の交換で、深く交流を
続けたと、小学校か中学校で、
学んだ記憶があります。

この会見で、宣長は古事記伝の執筆
を決心したとも記憶しています。


山 桜
宣
長



植
え
じ
と
ぞ
思
ふ



あ
だ
し
木

草
は

花
見
る
時
は

わ
が
宿
に
山
桜

宣長は、山桜が大変好きだったことは有名です。。
この頁のトップの宣長の歌にも山桜が歌われています。
右の画像は、宣長の遺書にある墓の設計図。
山桜が1本あるきりの簡素のものをと望んでいたそうですが、
実際には囲いのある立派なものだとかーー。
最近になって、宣長が望んだ墓とは違うということで、囲いは取り払われたそうです。



宣長の硯と筆



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